2012年12月7日

どうやらブログの機能も復活したようですのでまた時々書かせてもらおうかと思っています。

一ヶ月前の私の指揮しましたブルックナー7番の川版は、最初の重要な改訂版でありましたハース版や、その後のノーヴァク版等よりももっとブルックナーの初期の意図、言い換えれば慣習的に周りの人たちから色々言われ、本人自身も半分ぐらいは了承して完成させてから出版されるまでに色々変更していくいつものパターンが始まる前の、最初のブルックナーの意図に出来る限り近づけようと言うものでした(特にテンポの点で)。

なるほど!と思われるところも多く、私自身も勉強になりましたが、お客さんの大半の方には理解が?で、そういう反応だったように感じました。

川崎さんとも、どこまでブルックナーの当初案に戻すかで意見が食い違いました。そこでは、もしブルックナーの思ったとおりに演奏した場合、やはり当時の取り巻きの人たちが寄ってたかって進言したように、いまいち演奏効果に問題があるのではないかとの思いを、特にテンポの点で感じました。

川崎さんはご不満だったかもしれませんが、その点では多少川崎さんの意見とは異なる、演奏効果を少々優先させたところもありました。乱暴に言ってしまえば、その当初案をどんどん変えて行き、演奏効果優先に改変(改ざん?)した結果がシャルル版であり、ハースやノーヴァク版でもその色は濃く残ってます。

それが良いのかどうかは別として。

よく言われるのです。いろいろ検討し、作品本来の姿を世界で始めて示してくれることの意義は分かるし、立派だがその場に居合わせたお客さんは、必ずしもそんなことは希望して聴きに行くのではなく、ただ音楽的に満足させてくれればそれでよいのだ、と(例えそれがウソの演奏?だったとしても)。

お客さんの大半は、たとえ本来作曲家が意図していたものとは違ってしまっていたとしてもその演奏(楽譜の間違いや、演奏スタイルの改ざん等々で)に慣れてしまっており、本当の演奏?、作曲家がその場にいればおそらく涙して喜んでくれるだろう演奏をしたからと言ってもブラーヴォとはならない・・・・、

ということは残念ながら現実として認めなければならないかもしれません。

もっとも、だからこそ本来の姿を早く世界中のお客さんに分かってもらうようになるよう頑張らなくては、ってことになるのですが、なかなか現実の壁を破っていくのは難しい・・・・というよりはほとんど不可能であり、まったく割りの合わない仕事であることは確か。このままの方向性を貫いているうちにNCは・・・・。

ボチボチ再考を考える時期なのか(ピリオド奏法も含め)難しい選択を迫られています。

お客さんからブラーヴォを安易にもらう演奏に堕落してしまうか否か・・・・経済的に現在のNCは最悪状態に置かれており、そのためには・・・・。

でもそうなれば飽和状態のオーケストラ業界で、NCの存在なんて意味を成さなくなってしまうでしょうし。

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