2012年12月31日

メサイアは私としては久しぶりでしたが、ピリオド奏法でアプローチしたのは初めてでした。オーケストラの奏法だけでなくソロも含め合唱(西東京市のモーツアルト祝祭合唱団)にも有る程度バロックの歌い方に挑戦してもらい、そこそこの完成度を実感できました。

定期演奏会でピリオド奏法をやるときと同じく、事前にパート譜にピリオド奏法に必要な抑揚をつける箇所を書き込み、それに従ってノンヴィブラートで演奏してもらったのですが、何しろ練習時間が少ないため、一回曲を通して少し部分的に返すだけの練習でしたが、立派にバロックの香りがしていました。合唱団も大変立派に急成長して今年の演奏仕納めを飾りました。メデタシメデタシ。

それに比べ、先程終わったNHKEテレのN響ノリントンの第九はやや期待はずれでしたね。いつも参考にさせてもらっているノリントンの演奏ですが、N響のピリオド奏法がまだ完成されていない感じがしました。やはりただヴィブラートがないだけと思われる箇所が多く・・・・、でもさすがって箇所も・・・。

ノリントンのピリオド奏法以外での第九の本質的解釈と言うかアプローチの仕方が理解できませんでした。20世紀までの誤った楽譜と誤った演奏習慣から抜け出した、素晴らしいところ(レシタティーヴォのテンポや2重フーガの堂々たるテンポ)は明らかにベートーヴェンの意志に従った、20世紀の慣習を抜け出たものでしたが、マーチからオーケストラだけの“戦いの部分”を経由した後の一番有名な旋律までは、とんでもなく、ベートヴェンが聴いたら烈火のごとく怒り出すだろう、楽譜に細々と彼が書き込んだ注意書きとは無縁のものでした。20世紀の正しい資料がなかったがための誤った演奏そのもので、立派な箇所と、このような悲惨な箇所の混在を目にすると、いったい彼は何を考え、どこまで第九を勉強しているのだろうか、疑問を持たざるを得ません。

第九の勉強と言えば、今月ようやく半年前にベルリンの州立図書館から送ってもらった、ベートーヴェンが目を通した(とされる)一番最後の版(ウィルヘルム3世への献呈稿)のマイクロフィルムをA3で396ページにプリントアウトしました。これでベーレンライター版やブライトコップフ新版にも未だ存在している怪しげな箇所の一部が解明(もちろんこの版からだけの情報ではなく、多くの資料とこの版をミックスした結果ですが)するでしょう。まだまだ永遠に続く第九の真実を探求する道程・・・。

そういえば一休みしていた《新世界から》と《フィンランディア》の校訂文の改良作業にまた取り掛かり始めました。これもいったいいつまで続くやら。《フィンランディア》は新年11月に定期でお披露目するのでまだ時間は有るのですが。おそらくそれまでにフィンランド語にも訳したこのスコアが、フィンランドに渡り、それなりに話題になる可能性もあります。どういう形で出版したらよいか(ヤマハ等の出版社から出すと、私が自由に必要な箇所にばら撒くことが出来なくなるので)の思案しているところです。

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