私は3歳から小学校を卒業するまで、才能教育でヴァイオリンを習っていました。いわば私が音楽家になった原点ともいうべきお稽古事でした。その先生が喜寿を迎えられるということで、今月11日(日)のお昼に名古屋(私の出身地)で、OBOGや現役生徒もヴァイオリンを手に集合し、お祝いの会が開かれるという案内が昨秋来ていました。半世紀ぶりでのヴァイオリン教室の集いで、ぜひ参加したいところでしたが、残念ながらちょうどその日の同じ時刻に東京ニューシティの定期が東京であり、参加できません。とっても残念です。それで、先生や現役の生徒さんのお母さんたちに向けてメッセージじみたメールと懐かしの写真を係りのお母さんに送りました。それをこのブログの場を借りて添付します。私の半世紀前の一端のご紹介?
吉田好美先生、このたびは喜寿を迎えられましたこと心よりお祝い申し上げます。そして『吉田好美先生の喜寿のお祝いの会』のお世話役の方々、本当にご苦労様です。本来ならば先生の最初期の弟子として真っ先に馳せ参じなければならないところですが、私は、現在オーケストラの指揮者をやっておりまして、ちょうど同じ日の同じ時刻に東京で本番がございます関係でどうしても伺うことができません。まことに残念至極でございます。時刻が昼と夜とでもずれていれば絶対に伺うところなのですが。
最初は吉田先生のお父様でいらっしゃいます余語仁三郎(漢字が合っているか不安ですが)先生に習っておりました。確か先生の助手的な感じで余語好美先生にも習い始め(大久手かどこか、だったと記憶していますが違うかもしれません)そのまま好美先生の生徒になりました。おそらく小学校の3年生ぐらいだったと思います。
その後、先生が独立されて才能教育の名古屋支部(当時)の先生に正式になられ、東山教室が始まりました。今も東山教室という名が残っていることを今回知りまして、大変懐かしく思っております。
その最初の弟子の一人が私でした。今から思えば全くへたくそとしか言いようのない劣等性でしたが、できたばかりの教室でしたので、いつも私が一番先の曲を習っており、そういう意味では(あくまでも才能とか演奏レヴェルではありません)教室頭だったのかもしれません。
ちょうどその頃先生がご結婚され、苗字が余語から吉田へ代わられました。先生が結婚される前にデートされているところを私の母が偶然拝見し、レッスンの時に冷やかしていたことを覚えております。年上女房だから、そのうちに先生は若い女性の方が・・・、などという不謹慎なことも冗談めいて言っていたことも覚えています。当時ろくにその意味も分からない小学生だった私なのですが・・・。
とにもかくにも喜寿になられるまでご無事で添い遂げられてこられたのだから、「心配無用だったよ」(笑)、と天国の母には報告しなければなりません。今そんなたわいもないことを思い出しながら一人でほくそ笑んでいます。
その後本山の交差点近くにありました教会の離れを借りて本格的な教室へと育っていったと記憶しています(私が家の事情?でレッスンをやめるまで)。先日(12月17日)に私が朝日カルチャーセンターで講座を持った時、受講生として参加してくれた渡辺信久君(学校の同級生であり、吉田先生のお弟子さん)と半世紀近くぶりに偶然お会いし、講座の後、二人の共通の話題で大いに盛り上がりました。彼もお父様の余語仁三郎先生時代から一緒だったそうで、半世紀前とはいえ、お互い昔のことは良く覚えており(現在の記憶力は・・・(泣)ですが)東山教室の共通の話題を確認して楽しい時間を過ごしました。

大人数で写っている写真は、鈴木慎一先生が指揮をしていらっしゃいます(当時の私には随分おじいちゃんに映っていたのですが、良く考えますと、現在の私よりも若かったはずです!?。 その後ろの、グランドピアノの先端にいらっしゃいます、大人の男性の最前列の方が、たぶん吉田先生のお父様の、余語仁三郎先生ではないかと思います。先日吉田先生から頂きました年賀状には先生のお写真が載っていたのですが、何十年かぶりでお写真を拝見して、お父様の仁三郎先生に随分似てこられたと思いびっくりしました。何しろ私の記憶の中には、三十歳前の先生のイメージしかなかったので。


吉田先生。次の‘米寿を祝う会’には何を差し置いても参加しますのでよろしく!
追伸)私の宣伝のようになって申し訳ございませんが、残りの添付のひとつは音楽雑誌『音楽の友』の昨年11月号に載りました私の紹介記事です。現在の私が指揮者として力を入れている内容が紹介されています。

もうひとつは、今月末に毎日新聞社から出版される拙著の表紙をスキャンしたものです。拡大してその帯を読んでいただけると分かりますが、今私は世界のオーケストラ界に向けて身の程知らずの大兆戦をしようとしています。誰でも知っているようなオーケストラの有名曲の演奏に、考えられない誤りがいっぱい見つかり、まだ知らないままでいる大指揮者や超一流オーケストラにに向け警鐘を鳴らす内容になっております。一流音楽家がいまだ知らないことですから、かなり専門的です。しかし専門家しか理解できないないようですと、買う人が限られてしまい、毎日新聞社としては採算が取れなくなってまずいという訳で、‘音楽好きの誰でもがついてこられるような書き方にしてくれ’とのきついお達しが来ておりました。その結果、皆様ならおそらく理解していただけるであろう書き方を採用することになり、その範囲の中で‘エッ、嘘、まさか!’ってびっくりするような内容が盛りだくさんに書かれております。ひょっとたら、日本のクラシック界でこの本の内容をめぐって大論争が起こるかもしれません。




渡辺です。
好美先生の遅メシのときに一緒に出前してもらったラーメンのにおい!よかったなあ。
当時最高の贅沢!
今はトンコツだとか、いろいろ流行っていつようですが、僕にとってはラーメンといえばあのときの匂いなのです。
親がバイオリンでなく、ピアノを習わせてくれていたら・・と僕は今も思いますが、しかし当時ピアノなんてどこの家も買えなかったですね。
学年でも確か、家にピアノがあるのは女の子のS.S.さんのとこぐらいじゃなかったかな・・・。
それでバイオリン。北野の時代からJAZZが好きだったので、友人の中島と学校でJAZZ談義ばかりしていました。放課後に二人で学生服のままキタのJAZZ喫茶に入ろうとして「高校生はアカンよ」と追い返されたことがあります。
そして50歳のころ、定年後を考えて渋谷のミュージックスクール
でウッドベースを習いました。これはバイオリンに較べれば単純で簡単、屁みたいなもの・・と思ってはじめましたが、バイオリンが5度ー5度ー5−度なのに対し、BASSは何と4度ー4度ー4度。
10年演った今でも、ソロで隣の弦に行った時に、しょちゅう1音間違えています。
それに低音は音程がとりにくくて、高めに弾いてしまい、いつのまにか半音ぐらい上にズレてしまいます。
簡単な楽器というものはありませんん。
コメント by 渡辺信久 — 2009/1/9 金曜日 @ 12:40:00
ブログ、うれしく拝見。内藤郁夫さん彰さんのこと鮮明に想い出します。可愛かったわ。
大西の小母さんです。こんなに立派になられてお空の母上様どんなにかお喜びのことと存じます。
しばらくお教室に使っていただいたことを書いていただきありがとうございました。娘の年もピッタリ。2人とも男一人女一人の子持ち。私も87歳になりますけど、まだまだ元気です。清住町の家で二女一家と一緒に住んでおります(前の川はなくなりました)。あなたの著作をさっそく入手。むつかしそうですが、拾い読みさせて頂き、だんだん面白そう。ゆっくりひろい読ませていただきます。吉田先生にもお会いしたいと思います。ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
コメント by 大西の小母 — 2009/3/24 火曜日 @ 21:43:09